行って、会って、

買って、使って、感じる。

その体験が、すべて。

 

「フェニカ」の世界観は、テリー・エリスさんと北村恵子さんの眼や手、心が創り上げたもの。おふたりがどのようにしてものを観る眼、直観力を培い、そして自分たちがいいと感じたものを発信していらしたのか、お聞きしました。

(北村さん)「ビームスモダンリビング」も「フェニカ」も、決して順風満帆なスタートではありませんでした。「ビームスモダンリビング」を始動する前には2年間くらいリサーチをして、ミッドセンチュリーや北欧デザインなどある程度絞り込んで品物をセレクトしました。でも、最初の2年は全然売れなかったんですよ。いつ止めろって言われるかドキドキしていたほど。ただ、このデザインが好きなんだっていう私たちの気持ちがだんだんスタッフに伝わり始めて、彼らが少しずつ買い物をして、今度はその魅力をお客さんに伝えてくれるようになって……そうして3年目くらいから、ちょっとずつ売れるようになりました。

柳宗理氏が館長を務めていた日本民藝館

(北村さん)日本国内のデザインに目を向ける中でお会いしたのが、バタフライスツールをデザインなさったプロダクトデザイナーの柳宗理先生です。柳先生は私たちの師匠。当時、先生が館長をなさっていた日本民藝館にも頻繁に足を運んで、日本各地に残る古く魅力あるデザインや、全国の作り手さんの作品を山のように観る機会をいただきました。

(エリスさん)柳先生は私たちに「日本にはこういうのを作っている人がまだいっぱいいるから、見に行かなきゃだめだ」って、見に行くべき土地や、会いに行くべき人をリストアップしてくださいました。沖縄、九州、東北……自分たちで各地を回りながら作り手さんと話をして、日本のものづくりのレベルの高さに感心しました。

(北村さん)ところが、北欧の家具の時と同じように、店で民藝の器を扱っても、そう簡単には売れないんですね。だから柄物を無地にするなど、作り手さんと北欧好きな方が受け入れやすいデザインを模索して、試行錯誤を重ねました。そうするうちに少しずつ売れ始めて、いつしか、そのままの沖縄の焼物がとんでもなく売れるようになっていったんです。

(エリスさん)新しいデザインや価値観が浸透するまでは、本当にコツコツと地道な働きかけが必要なんです。お金使わなくちゃいけないところ、売らなくちゃいけないところを私たちは全部支えてきてるぞという感じはありますね。

(北村さん)でも、いざ人気が出ると、おいしいところはみんな他にもっていかれちゃう(笑)。民藝にしても、ポピュラーになるとの中にあふれるし、同じ作り手さんのところに注文が殺到するから、いつも私たちはまた別の目標に向かって動かなきゃいけない状況になっている。まあ、そうして新しく出会えた人やモノもたくさんあります。

 

(エリスさん)今まで自分たちがやってきたことっていうのは、その時々の自分たちの、絶対これがおもしろいよね!とか、これ着てみたい!食べてみたい!使ってみたい!というのがすべてなんです。ずーっとその繰り返しでやってきているので、次のストラテジーっていうのはありません。自分たちの気持ちがそこにハマっているってことが何より大事だから。そういう意味でいくと、最近は世界各地のフォークアートっておもしろいなと思っています。

柳宗理氏との出会いを通して、大衆に向けて作られた工芸品の魅力や、デザインの本質を学んだおふたり。「フェニカ」のプロモーションも後押しとなり、民藝という言葉や商品は世の中に広く浸透しました。今後のおふたりは何に注目し、その活動はどこへ進んでいくのでしょうか。

(北村さん)民藝という言葉が世の中に根付いて、扱っているお店の数もすごいから、私たちがプロモートしなくちゃいけない時期は終わったかな、とも思うんです。その一方で、コロナ禍が続く世の中を思うと、この先、民藝というカルチャーそのものもどうなっていくのか、不安もあります。ブーム以降は「流行りに乗って作って大当たりした」という感じの若い作家さんもたくさん出てきて、ずっと地道に仕事を続けてきた人の中には「どうしてあんなものがもてはやされるんだろう?」と感じる方もいるでしょう。そのギャップは悩ましいところです。

(エリスさん)すでに、欧米の国々には民藝という考え方やコンセプトは存在しないんですね。これだけ経済的に発展していながら、日常的にハンドメイドを使う習慣も残っている国は、世界で日本くらい。それなのに、日本の作り手の生活レベルはそれほど高くないというのが現状です。外国の場合、テーブルの物を買う時は、6セットが基本なんですが、日本ではせいぜい2セットですし。これだと作り手の生活レベルはいつまでたっても上がりませんよね。

北村さん)日本はいつからか、ものすごくプライスコンシャスになってしまいました。ものを選ぶ基準の結構上位に「安さ」が入っていて、ここが海外のマーケットとのいちばんの違いです。ですから、売る側の責任はこれからさらに重大になるでしょう。ちゃんと考えて取り組むお店が出てこないと、民藝のような貴重な市場はなくなってしまうかもしれません。

(エリスさん)民藝が多くの方に受け入れられた要因のひとつに、購入しやすい価格帯というのがあったのは確かです。けれども、民藝=安い、ではありません。民藝運動に携わったバーナード・リーチや濱田庄司などの作品は決して安くはないでしょう。それに、彼らが買い集めたコレクションの中には安いものもあったけれど、その品に出合うまでに膨大な時間とお金を費やしているんですね。だから、民藝というジャンルには安いものも高いものも、全部混ざってないとだめなんですよ、本当に。

(北村さん)モノには正当な価格っていうのがあって当然なのですが、作り手の中には値段を上げるのをためらいがちな人も多いんです。しかし、自分たちが満足のいく生活ができていなければ、作るものにその影響って絶対作品に出てしまいます。やっぱり日々の生活がちゃんとあって、それに満足できていてこそ、いい仕事ができるんだから。作り手さんたちの生活を守るのも、自分たちの仕事かなと思っています。

 

(北村さん)色や伝統あるテキスタイル、洋服づくりを継承する人にも同じようなご苦労があるかもしれません。そんな中、宝島染工はこれからが楽しみなブランドの1つ。コレクションでは常に新しい型や技術を投入されているように感じています。その中から私たちもいろいろ見つけていって、その都度相談しながら、仕事をお願いして…と、今後も一緒にどんな挑戦ができるか、楽しみにしています。

写真提供 @fennica_official_

(エリスさん私たちは自分たちの基準を守ってモノを選んできましたし、これからもその姿勢は変わりません。その基準を具体的に説明するのはとても難しいのだけど、自分たちが現地に行って、見て、買って、使って、感じたものであることは確か。何しろ、人生の中で見てきたものの量がすごいんです。自分たちでいろんな国や土地を歩いて、洋服から始まってありとあらゆるものを見てきた。見る前から好き嫌いの判断はしたくないので、だめそうでも行って、見て、買って、使って、感じて、の繰り返し。これまでの体験そのものが、今はこの「フェニカ」につながっています。

(北村さん)そうね、そこのスタンスは変わりませんね。そして、日本はもちろん世界各地に残る貴重な文化をなくさないためにも、作り手、売り手、買い手……それぞれが、もうひとがんばりをしないとね。みんなで今の状況を越えられたら、もっと楽しい、豊かなシーンっていうものがきっと見えてくると思うから。そこに向けてがんばっていきたいですね。

 

宝島と日々カテゴリーの記事