東京から九州へ。

生活の楽しみがある 地方って、

とても贅沢。

大学でテキスタイルを学んだ西さん。卒業後はどのような道に進みたいと考えていたのか。自分の道を見つけるまでの不安、宝島染工との出会い、そして見知らぬ土地に移住して働く今の生活について。

 

現場に飛び込む勇気もなく、就職活動は不安でいっぱいでした。


大学時代、テキスタイル学科には様々な求人が寄せられていました。大手の生地商社、カーテンや壁紙、傘、タオル、靴下などの専門企業、インテリアや雑貨を含むアパレル系の企業、車の内装などを手掛ける企業からの募集もありました。同級生のほとんどは、そうした企業にデザイン職で就職する人、アパレル系の企業に総合職で入社して、販売員として経験を積みながらいずれはデザイン職へ、という人だったと思います。

学生時代の作品

私も数社の説明会に参加しましたが、なんだか実感がわきませんでした。実際に手が動かせる環境に居続けられたらいいなとは思っていましたが、職人1本!ではなく、デザインにも興味があったし…だからといって、デザイン部署のある会社でPCの前でひたすら柄を作るというのもあまりピントこず…。様々な繊維の産地で人を求めていることは重々理解しているけれど、公に求人は出ていない所がほとんど。正直、どうしていいかわからない!という不安でいっぱいでした。

 

繊維の産地でのものづくりに興味を持ち始めたのは、大学3年生のとき、大学のプロジェクトで山梨県富士吉田市の機屋さんと関わらせていただいてからです。

『しゃかいか!』というウェブメディアや、繊維業界について学ぶプロジェクト『産地の学校』とのご縁もあり、いろいろな現場を見学・取材をさせていただきました。そこで見たものは大学で学ぶテキスタイルとはまた違っていてワクワする仕事ばかり。特にプリントや注染の現場には興味を持ちました。

 

 

ところが、いざ就職となったら、どうしても躊躇してしまう…。見学しているときはすごくワクワクしておもしろいのに、そこに自分はどうやって関わっていったらいいのかを考えると、わからなくなる。「後継者がいない!」という話は山ほど耳に入ってくるのですが、人生を賭けるような気持ちでそこに飛び込む勇気もなく、かなり悩んだ記憶があります。

 

それでも、大学院に進んでいろいろなものづくりをする人から話を聞くうちに、視野が広がりました。産地で働いて辞める人もいれば、企業に勤めてやっぱり手仕事に就くことにしたという人もいた。決まった働き方はないし、意外となんとかなるんだな、ということがわかりました。興味がある現場があるなら重く考えすぎず、もう少し気軽に産地に飛び込んでみても良いかも!と思えるようになったんですね。

 

同じころ、インスタグラムで宝島染工のことを知りました。東京で行われた繊維系企業の就活イベントで初めて直接お話しして、手仕事をしながらも一点物の工芸品や作品におさまることなく、生活に身近な「商品」として量産している姿勢がすてきだなと思いました。他にそういう会社はありませんでしたし、何よりも、私が漠然と思い描いていた理想の手仕事と近い気がしたのです。どうやったらそんなことが可能なのか、現場を見てみたい!そこで働いてみたい!と思い、直接その想いをお伝えしました。

 

ただ、当時の宝島は技術系の社員をすぐ採用する予定はなかったので、まずは久留米市広川町で行っている「お試し移住」に参加して、研修生として宝島と地元・久留米の機織り屋さんの2カ所で働いてみたらどうか、という提案をいただきました。それもおもしろそうだったので、すぐに準備をして久留米市へ。父の実家が熊本県の人吉市に近い小さな村なので九州にはなじみもあり、あまり深く考えず、ワクワクする気持ちのまま研修に向かいました。

 

広川町での2カ月の研修が、移住へのいい準備期間に。

 

研修中の約2カ月間は、広川町が運営するゲストハウスで暮らしました。

広川町のゲストハウス『Orige』

 

広川町の特産品を作る現場に興味を持つ国内外の若者が、短期間だけ暮らす施設です。少し歩くと山の景色が広がり、その麓に茶畑、くだもの畑、夜に光るお花のハウス、そしてあちこちに機屋さん…と、地域に根差した仕事がある。すてきな町だと思いました。ご近所の皆さんに毎日のようにお野菜やおやつをいただいたり、研修先の方には地域のバレーボールに誘っていただいたり。短い期間に忘れられない思い出が山のようにできました。

 

研修を終えて、無事に宝島染工に入社。会社に近い筑後市に引っ越して今に至ります。東京から筑後市に移住してからというもの、すっかり車社会の人になりました。東京にいたころは、まさか自分が運転免許を使うなんて思いもしなかったんですけどね。

愛車はサンドベージュの日産ラシーン。お気に入りのCDを積んで、あと、近くに温泉施設があるので、いつでも入りに行けるように温泉セットも乗せて通勤しています。好きな時に好きな車で好きな所に行ける生活って、自由で楽しい。行動範囲もぐんと広がりました。

 

九州は古墳や古跡がとても多いんです。特に、広川町や八女市の周辺は見逃しそうな小さな古墳が茶畑の中にあったりして、この土地らしい光景でとても好きです。

岩戸山古墳の石人

八女 福島の町並み

また、東京のセレクトショップで、どこか着飾ったような表情で並んでいる九州の食べ物や焼き物などが、作られている現場ではまったく飾りっ気ない顔で並んでいる。

このギャップがおもしろいです。東京にいる頃は東京で全国の物が買えるのは当たり前だと思っていましたが、作られている現場で自分の目でほしいものを選べるのは、ものづくり文化が息づいている地方の贅沢だなと思うようになりました。

 

学生時代は知らない土地に移住して仕事をするのに抵抗がありました。ただ、宝島染工への就職時は、広川町での2カ月間の研修を経た後だったので、それほど不安はありませんでした。宝島スタッフの皆さんはもちろん、研修中にお世話になった方々…やはり自分を知ってくれている人がいてくださると、それだけで心強い。手仕事をしたいと考えている方にも、そういう準備期間があるといろいろ助かりますよね。

私の場合、東京の家族や友人と離れるのはさみしかったですが、私が大学時代から産地に足を運んでいたのを知っている人は「あぁ、やっぱり東京で働く感じじゃないよね」と、納得してくれました。筑後市に移住してみて良かったのは、野菜や果物がおっきくて安くて美味しいところ。生活の楽しみがあるこういう土地で一人暮らしを始められて良かったなと、つくづくそう思っています。

 

宝島の商品はいわゆる一点物ではなくて量産なんですが、手仕事だからこその染めのムラ感とか、そういうものが1着1着に残せる。あと、プリントと手仕事の合わせ技も、他ではなかなかできない表現だと思っています。純粋な既製品では許されないような個体差も、宝島のファンの方々からは“宝島らしい”と理解していただけている。そういう関係性が成り立っているのは、宝島だからこそなんでしょうね。

宝島で仕事をする中で、食の方だったり、アパレルの方だったり…染物やテキスタイル以外のジャンルで仕事をなさっている方々とお会いする機会が増えました。私の仕事は大きなつながりの一部なんだな、と感じています。染物を通して他のジャンルとつながることって、これから先もあるのかもしれません。たとえば、身近な食材を使って染めるという機会があったら、その食材を育てている生産者の方とつながったりもするんだろうなーとか。染めという技術を軸にしながらいろんな方と自由につながっていたら、まだまだいろんなことができそう!って、そう思います。

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