美しい服って

ものすごく曖昧。

ぼろぼろでも生きてる。

TOHNAI 代表 藤内裕司さん

2024年から宝島染工の服づくりに参加したTOHNAIの代表・藤内裕司さん。独自のファッション哲学、素材への向き合い方、洋服づくりの姿勢を知るほどに、これからの宝島染工のデザインが楽しみになります。

(プロフィール HPより)
文化服装学院ファッション工科専攻科を卒業後、Y’s for livingにてキャリアをスタート。以後、MARGARET HOWELL、MHL.の企画・デザイン・素材開発など、同ブランドの舵取りを7年に渡って務める。独立後WISLOMのディレクターを経て、Tohnai Design Officeを設立。数々のブランドを手掛け、2022年より自らの名前を冠した「TOHNAI」をスタート。衣服を構成する素材のすべてを探究し続ける「MATERIAL GEEK」。

ぼろぼろで未完成、それがかっこいいんじゃんって。

(大籠)藤内さんとファッションとの出会い、バックボーンが知りたいです。

(藤内)原点はヨウジヤマモト。今も山本耀司さんのファッション哲学やポリシーが好きです。手探りの中、自分たちなりに工夫をして服づくりに取り組んでいるし、古着とかから作るパターンも手引きで曖昧。評論家からは「未完成」なんて言われたりもするけど、それがかっこいいんじゃんって。人間と同じで曖昧で、完成されていなくて、生ものに近い。自分のブランドでもそういう世界を目指しています。

出身は大分で、小学校から高校まで野球少年でした。中学時代の恩師が元プロ野球選手という当時は珍しいキャリアの人で、「すべて逆算して生きていけ」という教えがその後の生き方につながっています。

決して裕福な家庭じゃなかったから、将来は食いっぱぐれないように衣食住に関わる仕事をしようと思っていました。いろいろ考えて残ったのが衣服の道。当時の僕にとっては田舎の本屋にあった『STUDIO VOICE』だけが東京を知る手段で、ヨウジヤマモトと出会ったのもこの雑誌。ぼろぼろに破けていたけれど、とてつもなく美しいドレスでした。

ヨウジヤマモトのパタンナーになりたくて、高校卒業後はバイトで資金を貯めて文化服装学院に入学。志望はウィメンズ一択でした。ヨウジは男性にウィメンズのパターンを任せないんだけど、僕はどうしてもドレスのパターンがひきたかった。入社試験の面接でその志望を伝えると、やはり不採用でした。でもあきらめきれずに翌年の入社試験にも挑戦。そうしたら「新しくY’s for livingという部門を作るからアシスタントで入らないか」と誘ってもらえたんです。就活以外でも自分の想いを綴った手紙を送っていたから、その熱量を買ってもらえたのかもしれません。

若い頃に見た パリの Moulin Rouge

「とりあえず走れ!!」って、Y’s for livingではしょっちゅうゲキを飛ばされていました。「工場やアトリエを回って、テキスタイルのいろはを教わってこい」ってことですね。現場に行けば何かしら学びがあるし、経験値も高くなる。誰よりも現場を走り回って分かったのは、ファッションって多くの専門家の力を結集させて生み出す総合芸術だということです。

デザインが形になるまでには製糸や製織、編み、染め、パターン、縫製……いくつもの工程があって、それぞれのジャンルにとてつもないプロフェッショナルがいる。彼らはデザイナーからの発注に、デザイナーの想像を超える仕事で応えているんですよね。僕はそんなプロたちに出会い、素材の面白さにのめり込むようになりました。

2006年SS MARGARET HOWELL 展示会

Y’s for livingの後はコムデギャルソンでパタンナー、A-net.で企画とテキスタイル、生地の管理……と、服作りに関することは何でも吸収しました。で、それまでの経験や僕が信頼していた技術者や仕入先、工場など、すべてを注ぎ込んで取り組んだのがMHL.の仕事です。たくさんの人の力に助けてもらいました。当時仕事をしていた人の多くは独立した今もつながっていて、大籠さんもその1人です。

破れても色褪せても、毛玉すらも美しい服だけを。

 (大籠) TOHNAIを起ち上げたきっかけは?

(藤内)自分で作って、自分で売って、自分で消化していく。小さい規模でいいので生業としての仕事がほしかったんですね。TOHNAIは僕自身が美しいなと思う物を100%表現できる場所。だから、大きくしたくもないんですよ。お客さんの顔を見ながら売っていきたいイメージです。

コロナもきっかけのひとつ。あの頃は仕事の中断とかが重なって、補助金で食いつなぐしかなかった──こういう経験をすると、人は腹をくくります。自分で食っていけるサイズの仕事を興すなら今かもしれない、と。22AW(2022年秋冬コレクション)からスタートして、これまで7回展示会を開催。7回目の25AWはパリでやりました。

(大籠)パッと見た感じはすごくベーシックな印象です。

(藤内)そう、天然素材を使っていて雰囲気はベーシック。だけど、こなし方がちょっと独特で、パターンや縫製といった根っこの部分が他とはまったく違うんです。男女でもあり、ドレスでもあり、カジュアルでもあり、いい意味で曖昧な服。天然繊維の生地もあえていじめまくってぐだぐだにしたり、いい原料を洗いまくってぐちゃぐちゃにしたり。縮んで少し形が崩れちゃったとしても、それもまたいいな、と感じられるようにデザインしています。

曖昧感は僕のつくる物の本質、アイデンティティに近いですね。パタンナーや工場と連動して手探りで服を作りながら、曖昧さを突き詰めていく。たとえ予想と違うものができても、「今回はこれがいい。運命じゃん」って思うんですよ。パリに行って、洋服を作るならこれが普通だよな、間違ってなかったなって確信しました。

目指しているのは、破れても色褪せても毛玉になっても、それすらも美しい、綺麗だと思える服。1930年代の服みたいに、ブランド名がなくても服としての魅力があって、ずっと受け継がれていくものだけを作りたいんです。

(大籠)よくわかります。藤内さんは常に次のこと、先のことを考えていますよね。

(藤内)僕の仕事は常に否定から始まるんです。たとえば、TOHNAIでも宝島染工でも、1シーズンのコレクションができ上がる頃には、並んでいる服を早くも否定している自分がいます。他者ではなく、自分自身のデザインの持っていき方へのアンチテーゼですね。否定があるから継続していけるんです。

(大籠) 素材に対する探求心もケタ違いで、やっぱり頼んでよかったなと。

(藤内)やっぱり服は素材がすべてで、一番面白いから。料理と同じで、素材をどう加工していくかに作り手の経験やセンス、技術が出ると思うんです。TOHNAIの服は3カ月後、1年後のケバの風合いとか、色の落ち方とか、着続けていく上で起こる変化みたいなものまで表現しています。

デザイナーで本気で素材を深掘りする人ってほとんどいなくて。スモールコレクションだからっていうのもあるけど、僕みたいにデザインと素材の両方から攻めていけるデザイナーっていうのは、ちょっと珍しいかもしれません。

天然繊維の服は1点ずつ表情が違います。色ムラも多いし、破れるし。それが普通なんです。でも、日本ではなぜかケミカルな化粧で色を落ちにくくしたり、動かないように樹脂で固めまくったりする。それって天然繊維を使う意味があるんですか? って思うんですよね。

日本では「衣料品」も「ファッション」も一括りですが、ヨーロッパではちゃんと区別されています。「色ムラ? これがファッションだろう? 楽しもうよ」って。ファッションの文化が根付いているから、本気で追求する人は海外を目指します。僕もそうだし、宝島染工も目指すべきだと思っています。

(大籠)目指したいですね、海外。ところで、デザイン画とかはどう描くの?

(藤内)こだわりを具現化したい人は絵で細かい指示を出すけど、僕はほとんど描きません。パタンナーには「手縫い時代のジャケットのニュアンスを何とか出せないかな」とか、言葉で全部伝えるんです。すると、「だったら前下がりをもうちょっと下げた方が面白くない?」って、逆提案が返ってくる。ここがすごく重要なんです。僕にとってはパタンナーもデザイナーで、彼らの感覚を呼び起こすのが僕の仕事でもあるから。

工場に出す仕様書もわざと曖昧に作るんです。相手は「めんどくせぇ」と思ってるかもだけど(笑)、「どうしてこのステッチに?」と質問すると具体的な答えが返ってくるから、「おっ、わかってんな」って。互いに信頼しながらやりとりできるのが最高に面白い。

コレクションの経験がある技術者はみんなそう。1言われたら2、3とそれ以上の仕事を返さないとデザイナーに認めてもらえないから。闘いなんですよね、もう。宝島染工の仕事にも、僕はそうしたパタンナーや技術者をどんどんブッキングしたいんですよ。

形が違うもの、揺らいでいるものを表現したい。

2024年秋 再びパリへ

(大籠)パリのファッション界のムードはどうでしたか?

(藤内)久々に90年代のアッパーでギラギラとした華やかなムード、ぶっ飛んだ感じがあって、ビジネス的にも調子がいいようでした。パリのムードはこれから日本にもいっぱい入ってきて、“ファッション”のムーブメントが高まっていくと思います。

今はまだ、みんな安くてシンプルな洋服を着てるけど、多少高くても着る方の個性が際立つ服を面白がる人は確実に増えています。機が熟したらワーッと広がると思いますよ。つながっていますからね、ぜんぶ。

 (大籠)面白くなりそうだし、面白くしていきたいですね!

(藤内)ですよね! 美しいとか、かっこいいとか、僕にとって洋服にはそういう要素がぜんぶある。洋服以外にも影響を受ける表現は多いし、興味を惹かれる人はむしろデザイナーじゃない人の方が多いけど、すべて洋服づくりに帰結します。圧倒的に洋服なんですね、僕は。だからずっと飽きずにやってこられた。

かつて務めたMHL.では、ある程度決まったことをやる必要がありました。あの頃の癖が、最近ようやく抜け始めてきたかなという感じ。

形が違うもの、揺らいでいるものを表現したいという感覚が戻ってきたんです。染ってその最たるものですよね。色ムラがあるからこそ味じゃんって、もともと好きだった方向に戻ってこられた。そうだよな、この感覚だよなって。大籠さんが宝島染工の仕事に誘ってくれたおかげでもあるんです。

(大籠)こちらこそです。次のセッションも楽しみにしています。

 

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